第2回目
どうも皆さま、おはようございますこんにちはこんばんは。←これ長いんですよね。
やることリストってやる前は意気込むのにやろうとすると途端にやる気が起きなくなるアレってなんですかね?
ということで、やる気が起きなくなる前にやり出します。
ブログを更新し出して早くも2日目となりました。
1日が過ぎるのはほんとに早い!!昨日、始めたかと思えばもう2日目なんですよ🐤
こういう感じで1日1日の時間の有限性を感じて更新していきたいと思います。
”人間は考える葦である”とパスカルが言ったように、私たちヒトは思考の生き物です。
地球上に存在する生物の中で言葉を持ち知識を持つ生き物が人間。
地球とういヒエラルキーの中で脆弱なヒトが今の今まで生き残っていることは、考えることをしてきたからこそ。考える頭があるからこそ獰猛な生き物にも、未知の存在にも淘汰されることなく文明を継続できているんです。
地球の歴史の中で現代以上に高度な文明はたくさんあったと言われています。
では何故高度な文明なはずなのに、現在まで残っていないのだろうか?と考えるヒトはいるのでしょうか?ご多忙な皆さまはそれについて考える時間も惜しいと思いますので、僕が独自で考察した独断と偏見による完全想像説を述べていきたいと思います☺️
・マウント取りすぎ説
高度な文明だからこそ起こってしまう、情弱卑下社会。今、あなたの周りの友だちを見渡して見てください。もしかしてというかそうだと思うのですが、ヒトは同じような思考や能力の人達と友人関係になったり同じ時を過ごしたりします。あなたの周りにはあなたと同じような能力のヒトが揃っていませんか?能力が違うにしても同じような職種であったり、同じような年収であったりとあなたと同じモノを持っているヒトが集まっていると思います。日本人は特に工業教育を幼い頃から受けているので右向け右で右を向く人と仲間であることが多いです。
脱線してしまったので話を戻します。
情報を取得する人としない人には圧倒的な差が生まれます。その生まれた差を埋めるには学ばなければ成りません。きっと古代の文明には確立された文明に追いつける見込みや学べる方法とういものが皆無だったのでしょう。現代のようにインターネットで世界中がつながっているわけではないので、情報ひとつをとってもわからないことは一生わからないということもきっとあった時代。高度な文明が弱小文明の手助けをしていたとは到底思えませんので、その中で関係の小競り合いが起きて周りの文明と大きな争いになってしまったのではないかと推測します。象とアリの戦いであったとしても1体の象に1億匹の蟻で挑めば勝率は格段に上がりますもんね。数の多さは一種の暴力ですから、いくら文明が発達していたとはいえ、数で圧倒されては太刀打ちするのも至難の業ということになります。
↑
ここまで書いて思ったのは、これ全部想像で書いていること。
ヒトの想像のすごいところは当たらずとも遠からず、マトを得ていないようで図星。という奇跡を起こすというところです。考えていない人よりしっかり考えてるヒトの方が戦略の立て方が上手くなります。頭の中で幾度となくシュミレーションをすることで、自ずとトライアンドエラーを繰り返すということにつながるのです。想像すること、思考することを馬鹿にしてはなりませんよ。思考がヒトを創り、世界を創るのです。
思考停止になるよりも、全力で思考して思考して思考し続けよう。
あなたの思考が必ず世界をしあわせに導くのですから。
今、この瞬間から、思考することを始めてみよう。思った瞬間からあなたの現実はガラッと変わってくるからね。
あなたの人生を創れるヒトは、他でもなくあなただけだからね。
しあわせはいつも思考から。
今日もしあわせに生きていこう。
また明日🙋♀️